現在の毛利庭園が誕生するまで

江戸期 - 大名屋敷の庭園として誕生

[左図] 延宝年間図「麻布六本木乃付近図」

庭園の歴史は、およそ350年前の江戸時代に遡ります。
慶安3年(1650年)、毛利元就の孫、秀元が甲斐守となり、麻布日ヶ窪の地(現在の六本木六丁目他)に上屋敷を設け、その大名屋敷の庭園として誕生します。
その後、元禄15年(1702年)、吉良邸討ち入り後、赤穂浪士岡島八十右衛門ら10人が毛利家に預けられました(細川、毛利、松平、水野の四家に分けて預けられる)。翌年2月、全員がこの地で武士の本懐を遂げました。
嘉永12年(1849年)、のちに明治時代の陸軍大将となる「乃木希典」が、長府藩上屋敷の侍屋敷に希次の三男として生まれ、幼年期9年をこの「日ヶ窪屋敷」で過ごしました。
元治2年(1865年)、堀田相模守がこの日ヶ窪屋敷を拝領します。

明治~大正期 - 増島六一郎氏が当地を取得

[左図] 明治16年(1883年)陸軍部東京図(測量原図)より
[左下写真] 昭和初期の増島邸、[右下写真] 増島邸全景

時代は変わり、明治20年(1887年)、中央大学の創始者であり、弁護士、法学者、法学博士でもあった「増島六一郎」氏(1857~1948年)が自邸として当地を取得し、その庭園を「芳暉園」と名付けました。
大正8年(1919年)4月、「乃木大将誕生地」として、旧跡指定(現東京都旧跡)を受けます。

昭和期 - ニッカウヰスキー、テレビ朝日が当地を取得

[左写真] ニッカ池の桜(伊藤照彦写真集「六本木六丁目残影」より)

昭和18年3月、「毛利甲斐守邸跡」として旧跡指定(現東京都旧跡)を受けます。昭和27年3月にはニッカウヰスキーの東京工場となり、昭和52年には、テレビ朝日が当地を取得。池はニッカ池と通称されていました。

現在 - 再開発事業による、「毛利庭園」の誕生

[左写真] 再開発前の六本木六丁目付近

その後、平成10年に六本木六丁目地区市街地再開発組合が設立され、平成12年4月に、再開発事業の着工。平成15年4月に「六本木ヒルズ」がオープンし、現在の「毛利庭園」として誕生しました。

庭園の歴史年表

江戸期
慶安年間(1648~1652年) 毛利秀元が甲斐守となり、麻布日ヶ窪(現在の六本木六丁目)に上屋敷を設け、江戸の大名屋敷の庭園として誕生
元禄15年(1702年)12月 赤穂浪士の討ち入り
嘉永2年(1849年) 乃木希典日ヶ窪屋敷に誕生
元治2年(1865年) 堀田相模守日ヶ窪屋敷拝領
明治・大正期
明治20年(1887年) 増島六一郎氏が当地を取得
大正8年(1919年)4月 「乃木大将誕生地」として、旧跡指定(現東京都旧跡)を受ける
昭和・平成期
昭和18年(1943年)3月 「毛利甲斐守邸跡」として、旧跡指定(現東京都旧跡)を受ける
昭和27年(1952年) ニッカウヰスキー東京工場となる
昭和52年(1977年) テレビ朝日が当地を取得
昭和61年(1986年) 東京都が六本木六丁目地区を「再開発誘導地区」に指定
平成2年(1990年) 再開発準備組合発足
平成7年(1995年) 東京都 都市計画決定告示
(再開発地区計画 第一種市街地再開発事業 他)
平成10年(1998年) 六本木六丁目地区市街地再開発組合設立
平成12年(2000年)4月 着工
平成15年(2003年)4月 「六本木ヒルズ」オープン、毛利庭園誕生

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